「さて、そろそろいきますか!」
「はい!・・・って・・・どこにです?」
「どこって・・・そりゃ家でしょ?」
「・・・・・・・・・・・」
少し遅いランチを済ませた二人は、置いてあった自転車の所まで帰ってきた。
たまには外で食べるのもいいね〜、とか言っていた二人だったけれど、最後の方は寒くてそれどころじゃなかった。
結局急いで食べて、この続きはやっぱりもう少し暖かくなってから・・・、という事で早めに切り上げる事にしたのだ。
夕方になってくると空気は一段と冷たくなってくる。
セイは風邪をひかないうちに撤収しようというのだけれど、ユミはこの後の事は何も聞かされてはいなかった。
出来ればまだ離れたくない・・・ずっと傍に居たい・・・。
「あの、聖さま!・・・私まだ・・・」
離れたくない・・・。
ユミはその言葉を飲み込んだ。言えなかった。
セイはきっとユミが風邪を引いてしまう前に家に帰そうとしてくれているのだから・・・それを思うと、どうしても言えなかった。
「ん?祐巳ちゃん何か言った?」
自転車のチャーンを外しながらセイはユミの方に振り返る。
「いえ・・・なんでも・・・ないです」
「そう?」
「はい・・・」
本当はハッキリ言えばいいのかもしれない。でも、セイはユミの事をちゃんと考えてくれているのだ。
もう少しワガママ言ってもいいよ?セイはいつもそう言う。
でも、セイの事を思えばこそ、そのワガママが言えなくなってしまうのだ。
もしそれを言って嫌われてしまったらどうしよう、と考えていつも遠慮してしまう自分。
結局はいつも自分を守っているだけの事に過ぎないのだとも気づかずに。
「はい、準備できたよ!祐巳ちゃん」
「あ、はい」
ユミのどこかぎこちない態度に、セイが首を傾げながらユミの顔を覗き込んだ。
「んん?やっぱりさっき何か言わなかった?」
「・・・いいえ?」
「う〜ん?・・・おっかしいなぁ・・・結構大事な事だと思ったんだけど」
こんな事する自分はとてもズルイと思う。
こんな試すような真似して、まるで誘導尋問してるみたいで・・・。
でも、ちゃんとユミの口から聞きたい。まだ離れたくない、と。
それでもなかなか言おうとしないユミは、一体いつまで遠慮し続けるのだろうか。
セイは自転車をゆっくり押すと土手を一気に駆け上がる。
こんな事で距離が空くのは嫌なのに、いつも別れ際はこんな風になってしまう。
「祐巳ちゃ〜ん!!置いてくよ〜!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
いくらうまく隠してもセイにはきっと全てわかっている。今、ユミが何を言おうとしていたのかも全て。
ほんの少しだけ・・・ほんの少しだけ勇気を持ってワガママを言ってみてもいいだろうか・・・?
セイは迷惑そうな顔・・・しないだろうか・・・。
ユミは大きく息を吸い込むと、土手の上からこちらをじっと見つめているセイを見る。
「何?どうした?」
「聖さま!!私・・・わたし・・・」
「うん?」
セイの優しい声が聞こえる。
「私まだ離れたくないです!!だから・・・だから帰るだなんて・・・言わないで・・・」
ユミはそこまで言ってその場にしゃがみこんだ。何故か涙が溢れてくる。
語尾は怪しかった・・・でも言えた。ちゃんと言えた。
セイが今、どんな顔をしてこちらを見ているのかを確かめるのが怖い・・・。傷つきたくない・・・。
ユミがうずくまってしゃくりあげていると、突然上から何か暖かいものがフワリとかけられた。
「?」
そして誰かが優しく頭を撫でてくれる・・・セイだ。
その優しさに、ユミの中の何かがあふれ出す。ユミはセイの顔を見ることもなく、セイにしがみつき声を上げて泣き出した。
そんなユミをセイは優しく抱きとめて背中をさすってくれている・・・何も言わずに、ただ優しく。やがて、セイはポツリと呟いた。
「やっと言ってくれたね」
「う・・・っく・・・だって・・・じゃないと・・・せ、さま・・・いっちゃう・・・」
「行かないよ、私はどこにも行かない・・・ずっと傍に居るよ?」
「でも・・・だって・・・っく・・・っう・・・ふぇ・・・嫌いに・・・なる・・・きっと・・・」
「居るよ。約束する。どこにも行かない。ましてや、嫌いになんてならない」
「・・・ほん・・・と・・・に・・・?」
「ほんとに。それとも私が信じられない?」
セイはユミの頬を両手でそっと覆うと自分の方に向かせる。ユミの瞳は涙で濡れて、今にも溢れそうで・・・。
「・・・・・・・・・・」
しばらくユミはセイの顔をうかがうように見つめていたけれど、やがて首をゆっくりと横に振った。
「そうでしょう?私には祐巳ちゃんしか居ないんだから・・・もっと自信持ってよ」
「・・・はい・・・」
ユミは涙をグイっとふき取ると、小さく微笑んでみる。すると、セイも嬉しそうに笑ってくれる。
その笑顔を見て初めて、これで良かったんだ、と思えた・・・。
「それに、私端から今日祐巳ちゃんを家に帰すつもりなんて無かったよ?」
セイは照れ笑いを浮かべながらユミを立たせると、落ちたコートを羽織る。
「え、でも・・・だって、さっき家に帰るって・・・」
「うん。家は家だけど、祐巳ちゃんちじゃなくて私の家。祐巳ちゃんは今日は泊まりに来るもんだとばかり思ってたんだけどな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そうか・・・今日泊まる予定になってたんだ・・・聖さまの中では・・・。
ユミはポカンと口を開けてただセイを見つめると、何故か笑いが込み上げてきた。
ユミはワガママが言えない。でもセイは・・・。
「・・・私何にも用意してませんよ・・・?それに、何も言ってきてないし・・・」
「そうだろうね、その様子だと。服とかは貸すけど・・・どうする?」
「どうする・・・って・・・えと・・・」
「まぁ、今更嫌だ、とか言ったってもう帰さないけどね」
セイはそう言ってニヤリと口の端を上げて笑う。きっと、絶対にユミが断らない事が解っているのだろう・・・。
「・・・聖さまの・・・わがまま・・・」
ユミは小さな笑みを浮かべセイを見上げると、セイは意地悪そうに微笑んでいる。
「そうだよ、私はワガママだよ?祐巳ちゃんはこんな風にワガママ言われるのは嫌?」
そう言ってセイはユミの手を取り、自分のコートのポケットに無造作に突っ込むと、一気に土手を駆け上がった。
風が冷たい・・・でも、手と心は温かい・・・。
土手を上がりきるとユミはそっと瞳を閉じて首を横に振った。
「・・・嫌じゃないです・・・嬉しいです・・・」
ポツリと呟いた声に、セイも満足げに微笑んだ。
「そうでしょう?こんなワガママなら、言われてもいいと思わない?」
「・・・はい・・・」
「だから祐巳ちゃんももっとワガママになってもいいんだよ。それが嬉しいって事もあるんだから。
遠慮ばっかりされてちゃ私は不安になるから・・・私のためにワガママを言って?」
「聖さまの・・・為?」
キョトンとするユミに、セイは大袈裟に頷いてみせるとユミをフワリと抱き上げ自転車の荷台に座らせた。
「そう、私の為。祐巳ちゃんは自分の為にワガママ言わないみたいだからね」
「・・・・・・・・・・・・・」
セイの言葉はやんわりと、でも確実にユミの中途半端に自分を守る癖を注意していた。
もっと本音を聞きたいと思っているのは、ユミだけではなくてセイもまた同じなのだ。
「恋愛はさ、一人じゃ出来ないよ。相手にも意思はあるし、怒る事だってある。
でもそれに怒るかどうかは相手にしか解らないんだから・・・それなら言ってみるのが一番手っ取り早いじゃない?」
「・・・そう・・・かもしれません」
事実ユミはセイに限らず、誰に対してもこんな態度だったように思う。
遠慮して相手の事を先に考えて、自分を守り通してきた。
「人の気持ちは人には解らないよ。その人にしか解らないことを先に考えてしまうのは・・・バカだと思わない?」
「・・・そう、ですね・・・」
「他人ならそれでいいかもしれないけど、私にはそうであって欲しくないな・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
今まで・・・どれぐらいの人の心や気持ちを自分の物差しで計ってきたのか・・・解からない事なら聞けばいい。
いつからそんな風に簡単に出来なくなってしまったのか・・・。
ユミは自転車の荷台に座ったままセイの顔を見つめ、静かに涙をこぼした。
別にお説教されているとかは思わない・・・でも、セイの言った事は全て当たっていて・・・。
しかもそれに気づかなかった自分がもっと恥ずかしくて・・・こんな風に今まで誰も言ってくれなかった。
いくら思い返してみても、こんな風に自分に言ってくれるのはセイしかいなかった・・・。
でも、セイは一つだけ間違えてる・・・他は全部当たっていたけれど、一つだけ大きな間違いをしてる。
「祐巳ちゃん・・・今何を考えてるの?ちゃんと教えて?」
百面相していた訳ではない。それでもセイにはユミが何か言いたそうにしていたのが解った。
「誰にでも・・・って訳じゃないんです・・・聖さまだからこそ、言えなくなるんです・・・」
途切れ途切れに繋いだ言葉はセイにどう伝わるのだろうか・・・好きだから言えなくてもどかしくて・・・。
ついユミの事なら何でも解るセイに気持ちまでも託してしまって。
ユミが恐る恐る顔を上げセイの顔を見つめると、セイはいつものようにヘランと笑い、言った。
「なかなか嬉しい事言ってくれるじゃない、祐巳ちゃんってば。でも・・・それは逆だね・・・判るでしょ?」
セイはユミの小さな手を両手でつつむと、そっと目を閉じた・・・まるで何かにお祈りするように。
「そう・・・ですね・・・聖さまにはちゃんと伝えなきゃならない・・・ですね・・・。
私、本当はもっと聖さまとずっと一緒に居たい・・・。もう離れたくないんです・・・こんな気持ち初めてで・・・怖くて、それで・・・」
セイの切実な願いはちゃんとユミに届いた・・・たどたどしいけど、きちんと言葉に出来た。
上手くは言えなかったけれど、セイはユミの手の甲にキスを一つ落としてにっこりと微笑んだから、
きっと伝わったのだろうと思う。
「うん、そうだね。もう離れるのは私も嫌。出来れば一日中傍に居たいぐらい。
家に送り返す時の気持ちなんて・・・言葉にも出来ないぐらい・・・本当は辛い・・・。
それでも、別れは絶対に来るし・・・祐巳ちゃんは何も言わないし・・・だからつい不安になっちゃって。
だからさっきは無理矢理言わすような事してゴメン!
本当は祐巳ちゃんが何を言おうとしてるのか解ってたけど・・・確信はないし、ちゃんと聞きたくて。
・・・なんか、ごめんね・・・私こんなんで・・・」
そう言ってセイはユミの手を握ったままペコリと頭を下げる。申し訳なさそうな顔が、なんだか可愛らしい。
「・・・ど、どうして謝るんです?聖さまはてっきり私の事何でも解ってるんだと・・・」
セイもユミと同じようにいつだって不安だったのだ、ユミが何も言わないから・・・。
しかしセイはいつもユミの考えを先に読んでいたし、ユミの気持ちをわかってるものだとばかり思っていた、が。
「まさか!祐巳ちゃんの気持ちなんて全然解らないよ、百面相してる時は別だけど・・・ただ他のは、その・・・」
突然黙り込んだセイの顔をユミは覗き込むと、何故か顔が赤い。
「他のは・・・なんです?」
「いや、他のは・・・私の勝手な想像にすぎないよ・・・。
むしろ希望というか、こう思ってたらいいな、っていうぐらいで根拠とか何も無くて・・・その・・・理想みたいなモノかな」
そう、理想。
自分がそう思っているからユミもそうだといいな、ってだけで別にユミの気持ちが見えてるわけでは全然無かった。
いくらユミの心が見たくても、ユミはそれをセイに告げてくれることはなくて・・・。
だからセイはいつもユミの気持ちを想像するしか無かったのだ。
そんな乙女チックな自分にセイ自身も戸惑っているのに、それを本人に言うのはとてもバツが悪い。
出来ればこのまま何事も無かったかのようにこの場から立ち去りたいぐらい恥ずかしい。
案の定ユミはポカンと口を開けてしばらくセイを見つめていたが、やがて小さな笑みをこぼした。
「そうだったんですか。なんだ・・・じゃあ聖さまも同じだったんですね、私と」
「そりゃそうだよ。私だって毎日不安だもの。嫌われやしないかって毎日ヒヤヒヤしてるよ。
祐巳ちゃんが私の最後の恋人だと思ってるしね・・・」
「聖さま・・・」
ユミの瞳にまた涙が込み上げてくる。今度は嬉しい涙だと、自分でもちゃんとわかっていた・・・。
きっとセイにも解っているだろう・・・でも・・・。
「わ、私も・・・聖さまが最初で最後ですから・・・」
ちゃんと伝えなくてはならない。ユミの言葉がセイにとってはとても重要なのだと分かったから・・・。
「うん・・・ありがとう・・・祐巳ちゃん」
セイはそう言うと、コートのポケットの中から小さな箱を取りだしそれをユミの手のひらに置いた。
「・・・なんです?」
「チョコレート。今日はバレンタインでしょう?」
「・・・開けてもいいですか?」
ユミがそう尋ねると、セイは少し考えていたがやがて頷いた。何故か顔を真っ赤にして。
そっとリボンを解き、包装紙を取ると中から甘い香りがフワリと漂う。
いざ箱を開けようとしたその時、突然セイがそれを止めた。
「あ、あのさ!やっぱり家に帰ってからにしない?それも祐巳ちゃんちに帰った時!!」
「・・・それは明日って事ですか・・・?」
いぶかしげにセイの顔を覗き込むユミに、セイの動揺は凄まじいもので。
「そ、そう!明日!!ね!?」
いつになく必死なセイ・・・こんなセイを見たらここで開けずにはいられない。
「いいえ、今開けます。ちょうど甘いものも食べたかったし」
ユミはセイの手を振り切ると箱の蓋をそっと開いた・・・。
「・・・あの・・・一応手作りだから・・・愛だけはたっぷりだよ・・・」
なんだか泣き出してしまいそうなセイの声。愛はたっぷりと言うが、これは・・・。
「・・・・・え、えと・・・これは・・・爆弾・・・?」
黒い大きな丸いもの・・・夕日に照らされて妖しく光っている。
「し、失礼な!トリュフだよ!!・・・多分ね・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
多分というのがどうにも怪しい・・・ユミはそれを指で軽く突付くとしばらくそれを眺めていたが、
やがて意を決したようにそれを口に放り込んだ。
「ゆ、祐巳ちゃん?!一口じゃ無理でしょ!?」
「らいりょううれふよ、なんとは」
口いっぱいに広がる爆弾。あまりにも大きくて噛む事も出来ない。
しょうがないのでゆっくり溶かしながらそれを味わう・・・きっとこの爆弾ぐらいの愛を、セイは注いでくれたのだと思うと、
ユミは幸せだった・・・こんなにも大きくて甘いチョコレートを食べたのは、これが初めてだったから・・・。
「おいひい・・・」
「そ、そう?よく入ったね・・・でも良かったよ、成功してて」
ユミ仕様で作った生まれて初めてのチョコレート。
きっと甘すぎるだろうから味見もしなかったし見た目も悪いけれど・・・それでもユミは喜んでくれた。
それだけで、セイは十分すぎるほどで・・・。
「さて、それじゃあそろそろ帰ろっか!」
「はひ!」
「あはは!祐巳ちゃん何言ってるのかわかんないよ」
「あえのへいれふは!!」
「・・・私?」
苦笑いするセイに、コクンと頷くユミ。爆弾チョコレートのせいで右のほっぺたがパンパンに膨らんでいる。
「じゃあお詫びに・・・」
セイはそう言ってユミの前にかがむと、ユミの唇についていたチョコレートをペロリと舐め取ると、そのまま深く口付けた。
「っ?!」
確かめるようにユミの口の中のチョコレートを舐める・・・思ったよりも甘いチョコレートなのに、不思議と美味しく感じる。
「んー・・・やっぱり甘いね」
「へ、へいひゃまっ!!!!」
ユミは拳を振り上げすぐに振り下ろしたが、セイはそれをヒラリとよけてさっさと自転車にまたがった。
「さて、それじゃあおうちへ帰ろ〜」
そう言ってペダルを勢いよく踏み込むと、ユミは慌ててセイの腰につかまりギュっと体を押し当てる。
鼓動が伝わればいい・・・今ユミがどれほど幸せな気分でいるか、セイにも伝わればいい。
そして、セイもまた幸せだと・・・言ってくれれば・・・。
「祐巳ちゃんは今幸せ〜?」
突然のセイの問いかけにユミはハッと顔を上げる。
本当にユミの気持ちを知らずに言っているのだろうか、と疑いたくなるほど良いタイミング。
ユミは嬉しくて何度も何度もセイに解るように頷く。
「そっか、良かった。私も今凄く幸せだったからさ・・・」
セイはそんなユミの反応が嬉しくて思わず微笑んだ。
気持ちが通じてるみたいで凄く嬉しい・・・チョコレートみたいに心が溶け合ってるような気分。
口の中でまだ残っているチョコレートの味を、セイは確かめるようにペロリと唇を舐める。
「・・・やっぱり甘い・・・」
極上に大きくて甘いチョコレートは今のセイそのもの。それを一口で食べたユミは、何を想ったのだろう・・・。
思考が見えなくとも、二人は繋がっていられる・・・そんな風に今は思える・・・。
愛だけはたっぷり詰まっているんだ。
たとえそれがキミを壊してしまったとしても、
私は悔やまない。もう二度と。
出来る限りの事はしたし、想いも込めた。
だからどうか・・・残さず食べて。
私の想いを・・・。