いつか、私はなくなってしまう。

いつかは、キミともお別れだから・・・。




昨日、新しいコートを買った。

別に今日のためではないけれど、なんとなく・・・一目ぼれだった。

だから今日はこのコートを着て、自転車に乗ってキミに会いに行こう。

二人乗りをして、あの川原まで。お昼を食べた後は・・・何をしようか?



セイは昨日買ったばかりの新しいコートに袖を通すと、玄関の前で大きな深呼吸を一つ落とした。

ゆっくりドアを開けると冷たい空気が足元を撫でてゆく・・・。

天気は快晴。雲ひとつない青空と、昇ってからまだそんなに経っていない太陽が眩しい。

「行ってきます」

セイは自分以外誰も居ない部屋に、そういい残すと静かに鍵をかけた。



自転車でユミを迎えに行こうと決めたのは昨日。

本当は車でも良かったけれど、こんなにも天気が良くて気持ちがいいのだから、外を遮断するにはもったいないと感じたのだ。

セイは駐輪スペースに置いてあった自転車にまたがると、頬をパンと軽く叩き気合を入れる。

セイ愛用車はマウンテンバイクなどではなく、普通のままチャリ。

黒とねずみ色の中間ぐらいの色で、決して汚れているわけではない。

前にはカゴがついていて、後ろには荷台。今日はそこにユミを乗せて、デートする予定だった。

前のカゴには、今日の日にふさわしい小さな箱。これを渡すとユミはどんな顔をするだろうか・・・。

喜ぶだろうか・・・それとも驚くだろうか・・・?ユミの反応を想像するだけで笑いが込み上げてくる。

セイはそんなユミの反応を想像しながら、勢いよく自転車のペダルを前に押した。




今日は晴天。

にもかかわらず、相変わらずユミはモタモタしていた。

昨日突然決まったデートの為にユミは昨夜からずっとファッションショーをしていた。

あまりにも決まらなくてどうしようかと悩んでるうちに、しまいには出した服の山に埋もれて眠ってしまっていたぐらい・・・。

「・・・これでいいかな・・・」

ユミはまだ一度も袖を通した事のないワンピースを手に取り、もう一度鏡の前に立った。

思えば半年ほどまえ、やっぱりセイとデートした時にセイに薦めらて買ったは良かったけれど、

どんなに欲目で見ても自分には似合わないような気がして、今まで大切にとってあったのだ。

「・・・本当に似合うのかな・・・」

そもそもこんなタイプの服を持っていなかったユミは、

まだ半信半疑のまま袖を通ししばらく無言で鏡の前に立っていたけれど、やがて時計を見て、慌てて部屋を飛び出した。




思うに、セイのタイミングはいつもいい。

お風呂から上がってきたと同時に電話がかかってくるとか、ご飯を食べ終えて少ししたら突然遊びにきたりだとか・・・。

もしかしてどこかで見られてる?とか思うほどいつもタイミングがいいものだから、

タイミングの悪いユミにとって、それはとても羨ましかった。

そして、セイは今日もやっぱりタイミングがいい。

ユミが髪を整え、朝食を済まし時計を確認したと同時に玄関のベルが鳴った。

インターホンに出なくても誰が来たのかすぐに分かる。セイに言わせれば「愛だね」とか言っていたけれど・・・。

ユミは新しいワンピースの裾を翻し立ち上がると、玄関から勢いよく飛び出した。




「おはようござい・・・ま・・・す・・・」

ユミはセイが乗ってきたものを見てあんぐりと口を開けた。それから先の言葉が何も出ない。

「はい、おはよう」

セイは固まったままのユミに笑いを噛み殺しながら、ユミに後ろに乗る様うながす。

ユミは恐る恐る荷台にまたがろうとしたけれど、少し考えて止めた。

またがれば、スカートが風で翻ってきっと大変な事になると思ったからユミは大人しく横向きに座りセイの腰に腕を回した。

「ちゃんと乗った?しっかり?まっててよ?」

セイはギュウっとしがみつくユミの手に、自分の手をそっと重ねる。

「はい・・・大丈夫です・・・でも安全運転でお願いします」

ユミは重ねられた冷たい手に言いようの無い愛しさを感じながら、セイの背中にコツンと額を当てた。

「じゃ、出発しんこ〜う!!」

セイは背中に当てられたユミの小さな額の重みに目を細め、一点の曇りもない空を見上げ大きく息を吸って、

ゆっくりとペダルをこぎだした・・・。

風はこんなにも冷たくて、庭に出しっぱなしのバケツの水にはうっすら氷が張っている。

それなのに、ここにくるまではあんなにも寒かったのに・・・ユミが後ろに乗るだけでこんなにも暖かく、まるで春のよう。

腰に回された腕も、背中に当てられたおでこも、横目でチラリと見える風に泳ぐスカートも。

・・・どうしてこんなにも暖かいのだろう・・・。

幸せすぎると人は涙が出るなんて言うけれど、あながち間違いではないと思う。

流石に涙は出なくとも、我慢しきれないほどの何かが胸の中から溢れて、こぼれてしまいそうで・・・。

「祐巳ちゃん、寒くない?」

セイはそんな気持ちを隠すように後ろで小さくまとまっているユミに話しかけた。

「・・・はい??」

しかし、風が邪魔をして、ユミの耳には上手く伝わらない。

セイはもう一度声を張り上げてユミにさっきと同じ質問を繰り返すと、ユミは一瞬考えてセイの腰から片手を離し、

セイの背中に人差し指で文字を描く。

『うん、大丈夫』

いつまでもセイに対して敬語で話続けるユミ。敬語でなかったのはこれが初めて。

「ふ・・・ふふふ・・・ふはははは!」

嬉しかった。涙が出そうだった。でも、涙の代わりにこぼれたのは、笑い声。

いつも幸せな恋をしたいと願っていた。本をあまり読まないセイは、恋愛なんてよく解らなかった。

シオリに抱いた気持ちの答えを見つけようと、沢山の本を読み漁ったけれど、どれも自分のしたい恋愛とは違っていたし、

もちろんシオリとも理想の恋愛など出来なかった。

じゃあ自分のしたい理想の恋って何?それを自分に問いかけた時、ようやく解った。

自分は誰かを守りたいのだと。誰か一人にありったけの心を注いで、その人だけをずっと見つめていたいのだと。

そしてその人にも自分だけを見つめて欲しくて、毎日笑って幸せでいたい・・・。

そんな簡単な事だったのだ、と。人を好きになることに理由なんて無くて、ただ会うだけで幸せになる。

たまには喧嘩をしても、その日のうちに仲直りして、前よりもずっと好きになって・・・。

それが自分の理想の恋だったのだ、と。

今まで何も持たず、ただ明日が来るのを待っていた。それでも幸せを願うだけの日々の中で、何が掴めるというのだろう。

でも、いくら望んで求めていても、誰だっていつかは居なくなってしまう。

それはある日突然やってくるものなのだ。それでも、その日まではこうしていたい。

まだずっと、先の未来だとしても。今はただこうしていたいだけなのだ。

セイが笑っているのを不思議そうに後ろから見つめていたユミは、最初は不思議そうに首を傾げていたけれど、

やがてなんだか自分まで嬉しくなってきたのに気づいた。

頬や足に当たる冷たい風に混じって、セイの口笛がそっと体を撫でてゆく・・・。

それはとても心地よくて、ユミはセイに回した腕にキュウっと力を込めた。

切ないとはまた違う、幸せとも違う。

なんともいえない痺れるような感覚・・・風に運ばれてくるメロディーが聞こえる度、胸がギュっと締め付けられた・・・。

長い緩い下り坂に差し掛かった時、セイは不意にペダルから足を離した。

「気持ちいいねぇー!」

セイがそう言って体を少し後ろに倒すと、ユミの頬にセイの髪が当たった。

サラサラと水みたいに流れる髪からするのは、淡いミントの香り・・・。

「本当ですねー!」

ユミは風とミントの香りに包まれて、ゆっくりと目を閉じた・・・。














厳しい冬の中の、暖かい日差し。


本当の春が来る前には、まだ寒い日があるだろう。


それでもこんな日は、キミを連れ出してまだ来ない春に想いを馳せる。


心の中の雪解けを、ただずっと待つみたいに・・・。











まるで理想の恋みたいに・・・   第一話