遠くで声がする。


記憶の彼方に置いてきた懐かしい声が。


開けたくない記憶も、捨ててしまいたい記憶も、


全部いっしょくたに詰め込んで、それが私だと今は言える。


だって、私はいつだって幸せだったのだから・・・。





「当たり前じゃない。こうなったらとことんやってやるわ」

あきれ返るように言うユミに、セイはヘランとしまりのない顔をしてそんな事を言って、その場にユミを残してレジへと進んだ。

「はぁ・・・大人げないんだから・・・」


そして、今年もまた節分がやってくる。

結局未だにセイはあの時の事を根に持っているようだったけれど、正直ユミには何がそうんなにセイの癪に障ったのか、

今でもまだ、解らないままだった。

いつも理由を聞くけれど、いつまでたっても教えてもらえないままどのぐらい豆をまいてきただろう・・・。

・・・しかしだ・・・セイは毎年自分が鬼役をやるくせに、何故か最終的にはユミにばかり豆を投げつけてくるのは、

一体どういう事なのだろうか?

もしかすると、それがヒントなのかな?とも思うけれど、結局いつも何も教えてもらえないまま、豆まきは終わるのだった。

「今年は教えてもらえますか?」

帰り際、助手席に乗り込んだユミはなんとなくポツリと呟く。

「あぁ・・・まぁ、成功したら教えてあげる」

セイは一瞬何かを考えるように宙を仰いだけれど、すぐに笑顔でそう返した。

「・・・まだダメなんですか・・・」

ユミがそう言うのとほぼ同時に、セイが車のエンジンをかけ生憎ユミの声はエンジンの音にかき消されてしまった…。






「さて!今年も始めようか!!」

玄関を開けるなり、セイは買い物袋の中から豆を取り出しユミに方にグイっと突き出した。

「聖さま・・・せめて晩御飯の後にしましょうよ・・・今年は関西式で!って言ったの聖さまでしょう?

巻き寿司なら準備しなきゃあ・・・」

「お!そうだったそうだった」

セイはそう言っていそいそと豆を袋に仕舞い込むと、ようやく部屋の中へと入っていった・・・。

その嬉しそうな後姿をしばらく見つめていたユミは、やがて込み上げてくる笑いを押し殺しながら、小さく呟く。

「ほんとうに・・・子供みたい・・・」

と。

普段はあんなにも格好良いのに、家に帰って二人きりになると途端に甘えたになるセイ。

それはここ数年で、ユミにだけ見せる顔だと知った。

高校時代には見せてくれなかったいろいろなセイの顔・・・ユミしか知らない顔が沢山ある。

でも、それとは逆にユミには決して見せない顔もあることを、ユミはちゃんと知っていた・・・。

それでもユミが大分落ち込む事が少なくなったのは、セイが外の顔と家の顔をはっきり分けてくれていたから。

だからこそ、ユミは安心してセイを好きでいられたのだろう、と今は思う。

つかみ所の無い、計り知れない人だとずっと思っていたけれど、

本当はその裏にいろいろな想いを張り巡らせていたのだろう・・・。

ユミはそんなことを考えながら、セイのいるキッチンへと向かった。

セイとユミのアルバイトや学校がお休みの時は、必ず一緒にご飯を作る。

二人の中にいつの間にか出来上がっていたルールの中の一つだった。

どんなに幸福でも、満ち足りていたとしても、不意に不安になる時もある。

そんな時にはこうして一緒にいようと、努力した結果、いつの間にかそれがルールになってしまっていたのだ。

幸せな、増え続けるルールは、きっと今やとんでもない事になっているに違いない・・・。

「祐巳ちゃん、そこのキュウリ取って!」

「あ、はい。じゃあ私は高野豆腐戻しますね」

「うん」

セイはユミの手からキュウリを受け取ると、それを素早く細切りにしてゆく。

タンタンタンと小気味良い音がキッチンに響いて、まだ出来上がってもいないのに、

ユミのお腹は小さな鳴き声を漏らした。

「・・・祐巳ちゃんてば、そんなにお腹空いてたの?」

笑うというよりは呆れるに近い笑顔で、セイはそう言って恥ずかしそうに俯くユミの口に、

無理矢理今切ったばかりのキュウリを放り込む。

「んぐ??い、いえ、これはあの・・・消化中・・・とか?」

我ながら苦しい言い訳だとは思う。・・・でも、でも!!

いくら一緒に居る事に慣れたとはいえ、やっぱりセイの前では、こう、可愛くしていたいというか・・・。

出来るなら恥ずかしい事とか不細工な所は見られたくはないのだ。

「ふ〜ん。まぁ?私もお腹は減ってますし?祐巳ちゃんに先に与えておけば、私も気兼ねなくつまみぐい出来るしね」

ユミの百面相に、セイはニヤニヤしながらキュウリと高野豆腐をつまんで自分の口の中に放り込んだ。

「あ!ズル・・・いや、違った・・・ダメですよ!!聖さま!!!」

「はいはい、祐巳ちゃんにもあげるから。すねないすねない」

そんなユミを見て、カラカラと笑うセイはほんとうに嬉しそうな顔をしていた・・・。




「それじゃあ、いっただっきま〜す!!」

「あ、聖さまそっちじゃないですよ!あっちですあっち!!」

ユミはセイの隣に腰を下ろすと、何もない壁の方を指差した。

「え〜・・・壁見ながらご飯食べるの〜?」

「しょうがないでしょう?今年の恵方は向こうですから!」

そう、関西風にしてみたものの、なんせ今年が初めて。

勝手が全く分からない・・・上に、一本食べ終わるまで喋ってはならないとなると・・・。

「・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・ゴホ・・・・・・・」

「・・・・・・・・ふ・・・ふふ・・・・」

「・・・・・・・・・っく・・・・ゴホ・・・」

「・・・・・ふふふふふふ・・・」

隣で無言でむせるユミに、セイは思わず笑ってしまいそうになる・・・というよりも既に笑っている。

笑い声を出した時点で本当はアウトなのだろうが、どうにも笑いが止まらない。

ほんの少し冷静になってみれば、二人しか居ない部屋で喧嘩した訳でもなく、二人揃って同じ方向を向いて、

しかも口には太巻き一本まるまる食べるというのは・・・一体どうなのだろう・・・。

これで笑わずに居る方が・・・無理というものだろう。

これを毎年実践する関西の人たちの笑いに関しての忍耐とは・・・一体どれほどのものなのだろうか。

そんな事を太巻きをくわえながら真剣に考える自分自身も、可笑しくってしょうがない。

どうにかこうにか一本食べ終えたセイは、まだ隣で太巻きを頬張るユミの顔をじっと見つめていると、

ユミは真顔のうえに無言でセイの顔を両手で押し、ハグハグと必死な形相でそれを食べていた・・・。






「さて!!祐巳ちゃん!!お待ちかねの豆まきだよ!!」

「・・・・・・・そうですね・・・」

「あれ?どうしたの?元気がないよ?」

「いえ、元気はありますよ・・・ただ・・・」

「うん?」

「今年は私が鬼役をやるのは一向に構わないんですが・・・なんですか、この格好」

「だって・・・鬼といえばツノでしょう?」

セイはユミの頭にくっつけた急遽アルミホイルを使って作ったお手製のツノを指先で弾いてみせる。

「はあ・・・」

ユミは半ば無理矢理くっつけられたそれの先をつまんで溜息を一つおとした。

「じゃあ、ドアから入るところからね!はい、スタート!!」

「えっ?!これつけたまま外に出るんですか!?」

ユミが振り返ってセイの顔を見たけれど、セイは笑顔で手を振るだけで何も言ってはくれなかった。

「今年こそ・・・」

セイはユミが外に出て行ったのを確認すると、ポツリとそう呟き持っていた豆をギュっと握る。

そう、あの時・・・ユミは自分に何の関心も持っていないと気付いた。

拒まれたわけでもない。ただ、自分に感心が無いのだと。

だから、どれほどセイがせまったとしても、それはユミにとっていつもの事としか捉えてはいなかったのだ。

セイは、それが癪だった。もし、あれがサチコだったとしたら、ユミは許したのだろうか?

そう考えると、苦しくなって無性にイライラした。

たかが胸に入った豆を取ろうとしたそれだけのこと。

本当に小さくて、ユミに至っては完全に忘れてしまうようなほんの些細な事なのに・・・。

それなのに、あの時の事は今でもハッキリと覚えていた。

悔しくて切なくて・・・どうしようも無かった・・・。

不意に思い出したシオリの事も、その気持ちに拍車をかけたのかもしれない。

「・・・だからあの温室は苦手だったんだ・・・でも・・・」

ユミを好きなのだとハッキリ自覚したのもあの温室だった。

あの温室には沢山の思い出と想いが、今でも・・・つまっているのだろうか。

セイはそんなことを思いながらユミが入ってくるのを待った。

今年こそはユミの服の中に豆を入れて、あの日を再現してみせる。

毎年そんなことを考えながら豆まきをする自分は、なんて不純なのだろう。

でも、それでもユミの反応を確かめたい・・・今なら、そう・・・今ならユミはどんな反応を返してくるのか・・・。

少しは・・・自分の事を見てくれているだろうか・・・。

やがて鬼に紛したユミが恥ずかしそうに家の中へと入ってきた。

「わ、悪い子はいねーかー・・・」

「・・・・・・・祐巳ちゃん・・・それ、なまはげ」

「あ、あれ?じゃあ、何て言えば?」

「さあ?何も言わなくてもいいんじゃない?ただ私に襲い掛かればいいと思うよ?」

「は、はあ」

ユミは少しとまどったように後ずさりすると、勢いをつけてセイに向かってダイブする・・・。

「えっ、うわっ!!そ、そんなに勢いよく?!」

セイは真正面から飛びついてきたユミをキャッチした・・・いや、正しくはしようとした。が、しそこねた。

セイの手から沢山の豆がこぼれる。両腕にはユミ。自分はといえば・・・。

ゴン!!!

思い切りよく鬼に押し倒されてしまった。

「せ、聖さま!だ、大丈夫ですか!?」

ユミはセイの身体にしがみついたまま、せいの顔を覗き込む。

「いたた・・・鬼に押し倒されるとは・・・はは」

頭をさすりながらセイはユミを抱きとめたまま起き上がると、苦い笑いをこぼす。

「ご、ごめんなさい・・・」

しょんぼりする鬼と、それを笑って許す自分。こんな関係もなかなか悪くないな、とセイは思う。

「いいよ。祐巳ちゃんは?どっかぶつけてない?」

「あ、はい!大丈夫です・・・けど」

「けど?」

ユミはチラリと自分の服の中を覗き込んだ。

「服の中に入っちゃいました」

そう言ってユミは照れたように笑ってセイがぶつけた所をよしよしと撫でる。

「・・・取ってあげようか?」

セイはそう言ってユミの顔を真剣な表情で見つめた。どこか切羽詰った感じが、あの時とよく似ている。

セイの言葉に、ユミは顔を真っ赤にして頭を振ると、いいです、とそれを断った。

「・・・・・・・そう・・・・・・まだダメなんだ」

「へ?まだってなんです?」

「いいや、別になんでもないよ」

無理に繕う笑顔が張り付いたように自分におおいかぶさってくる。

そんなセイの事を気にかけてか、そうでないのか・・・突然ユミが口を開いた。

「だって、聖さま・・・それだけじゃ終わらないでしょう?」

と。

「は?」

一瞬面食らったセイの顔から、ポロリと仮面がすべり落ちる。

「だから!聖さまそれ以上の事しようとするでしょう?」

「・・・・・・・・・・・・・」

・・・それ以上の事・・・確かに。

「あ、あー・・・えっと・・・それで嫌なの?」

「はい。それで嫌なんです。あ、別にそういうのが嫌って訳じゃ・・・い、いや、違う・・・えっと・・・」

ユミは頭を抱えながら何やら真剣に考え込んでいる。そんなユミに、セイはそっと助け舟を出す。

「えっと・・・今、するのが嫌・・・とか?じゃ、じゃああの時は・・・」

「・・・あの時?どの時です?」

ハテ?そんな顔をしているユミに、セイは必死になって思い出してもらおうとした。

「ほら!由乃ちゃんが投げたやつが・・・」

「ああ!!あの時は・・・代わりにされるのが嫌で・・・栞さんの・・・それに・・・まだよく解らなかったし・・・」

「解らない?何が?・・・っていうより、私そんなにがっついて見えた?」

そんな風に見られていたとしたら・・・それはそれでショックだ。

「いえ、決してがっついて見えたとかそういうのではなくて・・・ただ、なんだか痛そうだったから・・・。

それに、あの温室は苦手だって言ってたし、てっきり栞さんの事思い出しちゃったのかと思いまして・・・。

だから、私を外へ追いやるための口実かな?って思ってたんです」

「そっか・・・なんだ・・・じゃあどうでも良かった訳じゃあ・・・」

セイが最後まで言い終えないうちに、ユミが先に首を振った。それはないです、と付け加えて。

「まだ自分の気持ちが解らなかったんです、私」

「・・・そうだったの・・・じゃあ私の勘違いか。ところで・・・じゃあ今はどうしてダメなの?」

セイはきょとんとした顔でこちらを見つめるユミにグイッと顔を近づける。お互いの息がかかるほど近く。

「今・・・は・・・さ、寒いから・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

寒いから・・・そんな理由で・・・。

セイはガックリと肩を落とすと、込み上げてくる笑いを噛み殺した。

「だ、だって、廊下ですよ?!寒いじゃないですか!!」

「だったら、部屋ならいいの?」

「い、いえ・・・その・・・お風呂に入った後・・・なら」

そう言って俯く可愛らしい鬼。入ってきた鬼を喰らうのも・・・なかなかいいかもしれない。

「おっけ。じゃあお風呂ためようか」

セイはそう言ってユミの頭の上にある鬼のツノを取ると、まだ恥ずかしそうにしている福にそっと口付けた・・・。




鬼は外なんて言わなくても、福は内なんて言わなくても。

最初からセイは両方手に入れていた。時には鬼のように、でも本当は福で。

ユミにとって、自分もそうならいい。そうであれば、これ以上に幸福な事など・・・何もない。






まるで鬼のようにキミは私の心を焼いて、


何事もなかったかのように笑う。


そんなキミが好きで好きでしょうがない私は、


そんなキミすら愛しいと想う私は、


どうしようもない程幸福なのだろう。
















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