出来るだけ長生きしよう。
キミよりも先には逝かないように。
綺麗な花を咲かせて、キミを見送って、
それからほんの少しだけ、キミを懐かしんで、
思い出の整理がキチンと出来たなら、
私も幸せな眠りにつくよ。
また、キミと出逢えるよう、祈りながら。
「あれ?どうかしたの?二人とも」
ようやくこちらに気づいたヨシノが、不思議そうに尋ねてくる。
そんなヨシノにセイは、ナイスコントロール!などと言ってユミに近づいてきたかと思うと…。
「ぎゃうっ?!なっ、何するんですか!!いきなりっ!!!」
「ん〜?揺さぶったら落ちるんじゃないかなぁ、と思ったんだけど…」
落ちてこないね…とセイは呟くと、ユミを抱きしめた腕を解きユミの体を上から下までじっと眺める。
「おっかしいなぁ…祐巳ちゃんの体にひっかかりそうな所なんてどこにもないのに」
「!?」
し、失礼な!!!そりゃあセイほど凹凸はないし、引っかかる所なんて無いけれど…。
面と向かって言われると…ユミは真っ赤になって俯くと、上目遣いでセイを睨んだ。
「お〜こわいこわい」
こちらをじっと睨みつけるユミに、セイは両手を挙げ降参のポーズをとるとその場を立ち去ってしまう。
この時、セイがその場を立ち去ったのは耐えられなくなったから。
上目遣いに睨むユミにも、フワフワした抱き心地のいい体にも、鼻腔をくすぐるシャンプーの甘い香りも…。
全てが欲しくなってしまうから…。
一度でも願ってしまえば、抑えがきかなくなる。我慢できなくなってしまう。
制服の上からユミの体を想像してしまう自分。そしてそれを抑えようとする自分。
どうしようもなくて、その場を後にした。
階段をゆっくり上りながら、手の中にまだ残っていた豆を一つ口の中に放り込みそんな気持ちと一緒に噛み砕いた。
甘いような苦いような味が、口の中に広がって心にまで沁みる。
「お前はいいね…簡単にあの子に触れる事が出来て…」
セイはそう呟くと、もう一つ豆を口に含んだ。
ほんの些細な事で苦しくなって、胸が痛くなる。
決して手に入らないモノを欲しがって、壊して…もう、どうすればいいのか解らない。
ビスケットのようなドアを開けると、そこでは既に皆が今年の鬼にお茶を出して談笑していた。
真っ赤な衣装が目に焼きついて、脳をジリジリと焼いてゆく。
赤色は本来そういう色だ。闘争本能を掻き立てて敵を壊す。
この場合、敵とは一体誰の事なのだろう。ユミだろうか…それとも…自分自身なのだろうか…。
『お願い…その色を私に見せないで!』
いくら心の中でそう叫んでも、誰にも聴こえない…聴いてくれるはずも、ない。
「あら、どうしたの?聖」
エリコが心配、というよりは楽しそうにセイの顔を覗き込むと、その表情を見て口を噤んだ。
「いや・・・なんでもないよ、それより・・・ちょっと用事思い出したから、私帰るね」
セイはクルリと向きを変え、ビスケットの扉に手をかけ呆然とする部屋を後にした…。
「ちょっと、聖!!突然どうしたの!?」
追いかけてきたのはヨウコ。いつものようにおせっかいしに来たのだろうか。なんて思った。
今なら解る、ヨウコの気持ち。一体いつからだったのだろう…いつから自分は想われていたんだろう…。
そんな気持ちなんて知らなかったセイは、一体どれほどヨウコを傷つけていたのだろう…。
自分の事にばかり気をとられて、周りが全く見えなかった自分は本当に幼かった。
シオリを失くした時と何も変わってなどいなかったのだ。
「どうもしてないって。本当に用事を思い出したのよ」
いつものような笑顔に必死に戻そうとするが、なかなかうまくはいかない。
それでもヨウコは、その痛い笑顔の事など何も言わなかった。
いや、言えなかったのかもしれない…そう、ただ、言えなかっただけ。
「…そう?ならいいけど…」
「うん。それじゃあ、ごきげんよう」
「・・・ごきげんよう・・・」
ヨウコの方に顔も向けず手だけで挨拶をすると、セイは階段をゆっくりと下りていった。
階下では、まだヨシノとユミが豆を一生懸命拾っている。
「あれ?白薔薇様?!どこ行くんです?」
大きな瞳でこちらを見上げて手の中の豆をこぼさないよう、ユミはゆっくりと立ち上がった。
「いやぁ〜ちょっと用事思い出しちゃってさ」
セイはそう言ってユミの顔を見ず、同じく隣に並ぶヨシノに目をやる。
「そうなんですか。じゃあ白薔薇様は掃除を手伝いに降りて来てくれた訳ではないんですね?」
意地悪な笑みを浮かべそんな事を言うヨシノは、どこか子悪魔っぽくて可愛らしい。
それでもドキドキしないのは、その笑顔が欲しいわけではないから。
「うん、悪いね。そういう事だから頑張ってね、お二人さん」
「「は〜い」」
セイの言葉に、ユミとヨシノは仲良く返事を返すと、セイの後姿を見送ってまた散らばった豆を拾い始めた。
外の空気は冷たくて、思わず薔薇の館に帰ろうか、などと考えそうになるのを堪えてセイは歩みを速めると、
まっすぐに温室へと向かった。
苦手なはずの温室の空気は、思いもかけず暖かくてなんだか泣きそうになる。
シオリとの思い出が沢山詰まったこの場所は、まだセイを責めるように…。
セイは思い出の場所に腰を下ろすと、大きなため息を一つつきもう今はない長かった髪を思い出していた。
「ねぇ栞、私はまた間違うのかな…」
誰も居ないその場所は、凍ってしまいそうな程冷たい。
そっとなぞる指先から、体の芯まで冷えてしまいそうな程に…。
どれぐらいそうしていたのだろう…窓の外には雪がちらついて、窓を白く曇らせている。
…と、突然温室のドアが開き誰かが入ってくる気配がした。
「・・・誰・・・?」
セイは訝しげにそう尋ねると、向こうから思ってもみなかった声が返ってきた。
「あ!白薔薇様、ここにいらしたんですか」
「祐巳ちゃんっ?!」
「はい!忘れ物を届けにきたんですけど…入っても構いませんか?」
「う、うん。ありがとう」
どうしてここに居るのが分かったのだろう、とかもう帰ってるとは思わなかったの?
とか聞きたい事は沢山あったけど、その答えは案外すぐに出た。
「鞄をね、薔薇の館に置きっぱなしにしてましたよ?」
そう言って笑いながらユミはこちらに近づいてきて、何の躊躇もなくセイの隣に腰を下ろした。
以前はシオリが座った場所に、今はユミが座っている…なんて皮肉な事だろう…。
ユミは鞄をセイに手渡すと、にっこり笑って缶コーヒーを差し出す。
「・・・くれるの?」
「はい!だって、寒いでしょう?」
「・・・ありがとう・・・」
セイは缶コーヒーを受け取ると、それを開けて一口すする。苦いはずのコーヒーが、何故か今日は甘い。
「美味しいですか?」
セイがコーヒーを飲むのを隣で見ていたユミは、嬉しそうに微笑む。
「うん、美味しいよ。…飲む?」
セイはそう言ってユミにコーヒーを差し出すと、ユミは一瞬考えるように宙を眺めて頷いた。
「・・・苦いですね」
「そりゃあね、ブラックだから」
苦虫をつぶしたように笑うユミの顔がおかしくて、セイはユミの手からコーヒーを取ると、
もう一口すすろうとして…やめた。今時間接キスに恥ずかしがったりする歳ではない。
それは痛いほどよく解っているのに、何故かユミの柔らかそうな唇を意識してしまって、
口をつける事が出来なかった…。
「そういえば…服の中のやつ取れた?」
話をはぐらかして、自分をだまして。何度同じ事を繰り返してきたか解らない。
「それが・・・まだ取れてないんです・・・どうやら下着に引っかかってるみたいで・・・」
ユミはそう言うなり、制服をパタパタと揺らしてみせた。
「ふ〜ん。下着…ねぇ…よし!私が取ってあげよう!!」
「へっ?」
セイは驚くユミを尻目に、突然立ち上がりユミの制服の上から手をすべりこませる振りをする。
するとユミは、慌てて制服の前を押さえセイを軽く睨み立ち上がった。
「け、け、結構です!!お手洗いで取ってきますから!!!」
「え〜いいじゃん。女同士なんだし、別に問題ないでしょう?」
いつものような意地悪な笑顔でジリジリとユミに詰め寄り、ユミの手を取るとユミは顔を強張らせて後ずさりし始めた。
「い、いえっ!!白薔薇様は別ですっ!!!!」
「うわっ…祐巳ちゃんってば酷い…私の事そんな風に見てたんだ?」
ほんのちょっとだけ…セイはショックだった。勢いよく振りほどかれた腕がダランと下に落ちる。
いっそ嫌われてしまった方が楽だと思っていたくせに、
こんな風に拒絶されるのはやっぱり未だに怖いのだと実感する。
ほんの一瞬見せたセイのガラスの部分を、ユミは見逃さなかったのだろうか。
慌てたようにセイの袖をつまみクンと引っ張るとしどろもどろに言った。
「いや、あの…そういう訳ではないんですけど…とにかくっ!自分で取れますからっ!!」
「うん、そうだね。早く取ってきた方がいいと思うよ?でないと今度は本当に手つっこむからね」
ユミのそんな気遣いが嬉しい反面、憎らしいとも思う。
でもそんな風に、拒絶した訳じゃないんだよ、って思えるようにしてくれるユミの仕種は、
セイの心をいつもほんの少しだけ軽くしてくれる。
「へ?」
「早く行かないと、本当に襲っちゃうぞ!って言ってるの」
「ぅあ!!そ、それじゃあごきげんよう!白薔薇様っ!!!」
「はい、ごきげんよう。また明日ね」
「はい、また明日!」
ユミが温室を後にしたのを確認すると、セイはもう一度腰を下ろしすっかり冷めてしまった缶コーヒーを手に取った。
半ば無理矢理のようにユミを温室から追い出したのは、自分の為…そしてユミの為。
自制がきかなくなる前に、遠ざけてしまった方がいい。そうすれば、誰も傷つかなくて済む。
セイは缶コーヒーをしばらく眺めていたけれど、やがて意を決したように瞳を閉じ・・・唇を重ねた。
缶ごしの初めてのユミとのキスは、冷たく苦い…。
「・・・ねえ栞・・・祐巳ちゃんは栞とは違う。
だからあの時のような激情はないけれど、それでも今は私とても幸せだよ・・・」
『・・・そう・・・幸せなのね?聖は幸せなのね・・・?』
どこからともなく聞こえる風の音が、失ったかつての恋人の声を、運んできたような気がした・・・。
セイはほんの少しだけ微笑むと、宙を眺め呟く・・・。
「うん・・・幸せだよ、とても・・・」
節分の日。季節を分けるために行ったのが始まりだというけれど、本当はどうなのだろう。
人の中に眠る鬼たちを目覚めさせないように、どんなに辛い時でも福を感じられるように・・・。
その為に人が作った、大切な儀式なんじゃないか、と、今は思うんだよ。
遠くで声がする。
記憶の彼方に置いてきた懐かしい声が。
開けたくない記憶も、捨ててしまいたい記憶も、
全部いっしょくたに詰め込んで、それが私だと今は言える。
だって、私はいつだって幸せだったのだから・・・。