あの時からきっと・・・すでにはじまっていた・・・。
「この日が来ると思い出すよ…」
セイは買い物カゴを片手に、レジの前に所狭しと並べられたソレを手に取り言った。
何かを懐かしむように宙を仰いでため息をつくセイに、ユミは隣で苦い笑いをこぼしている。
「・・・まだ言ってるんですか?」
「忘れられる訳ないじゃない…あれって、結構精神的に辛いんだから」
セイははぁ、と肩を落とし手に持っていた袋をカゴの中に一つだけ放り込んだ。
「・・・それでもやっぱりやるんですね・・・今年も」
「当たり前じゃない。こうなったらとことんやってやるわ」
あきれ返るように言うユミに、セイはヘランとしまりのない顔をしてそんな事を言って、その場にユミを残してレジへと進んだ。
「はぁ・・・大人げないんだから・・・」
ユミはレジを済ませて店員のお姉さんと楽しそうにおしゃべりをしているセイを軽く睨みつけながら、後を追った。
2月3日 節分の日。
ユミはヨウコに言われた大事な任務を遂行するため、薔薇の館へと急いでいた。
途中ツタコに呼び止められ少しの時間をロスしたものの、どうにか間に合ったため姉であるサチコに叱られずに済んだ。
「祐巳、時間に間に合えば良いというものではないのよ?
あなたはいつも余裕を持たなさすぎなのよ…ちょっと、祐巳?聞いているの?」
いや、厳密に言えば愛のある叱咤は受けたのだけれど、これはまだまだ叱られるという段階ではない。
ボンヤリとそんな事を考えながら、大好きなサチコの困ったような顔に目を奪われていると、
危うく本当に叱られそうになる。
ユミは慌てて背筋をシャンと伸ばし、出来るだけ申し訳なさそうな顔を作り返事を返す。
「は、はい!!お姉さま!!!」
「ほんとにもう…ほら、タイが曲がっていてよ」
ユミのその態度がおきに召したのか、ただ機嫌が良かったのかは解らないが、
サチコはユミの大して歪んでいないタイをそっと直すと、
それ以上何も言わなかった。
「祐巳ちゃん、例のモノは・・・」
そんな姉妹の微笑ましい光景を、ひとしきり黙って見ていたヨウコがユミの肩に手を置いて頭を軽く撫でると言った。
「あ!はい、ここに!!」
ユミは鞄の中からコンビにの袋を取り出すと、それをヨウコに差し出しニッコリと微笑む。
「そう、ご苦労様」
「いえ・・・ただ、誰が鬼をするんです?」
「ああ、鬼役は令に頼んであるのだけれど…祐巳ちゃんしたい?」
満面の笑みでヨウコはそう言って鬼の面を袋から取り出し、それをユミに手渡した。
「い、いえ!遠慮しておきます!!」
いくら軽くと言っても、やっぱり豆が当たれば痛いだろうし・・・。
「そう?」
ヨウコは笑顔を崩さないままそのお面をゆっくりと自分で被って見せる。
「うわっ!!今年は蓉子が鬼?」
聞きなれた声にユミが首だけで振り返ろうとしたその時…突然背後から誰かに抱きしめられユミはグラリと傾いだ。
「ぎゃうっ???!!」
「わわわ…祐巳ちゃん、大丈夫?」
「ろ、白薔薇様?!」
「はいな、ごきげんよう」
倒れそうになったユミの体を支えながら笑顔で挨拶…。
こんな事をする人なんて、今思えば後にも先にもきっとこの人しかいない。
そして・・・この人がこんな事をする度にサチコが物凄い剣幕で怒り出す。
それはもう毎度の事で、山百合会メンバーの間ではまるでコントのようだった、
などと言われるぐらいだから相当恒例だったに違いない。
今はサチコとも笑ってこんな昔話をするようになれたけれど、
サチコの話ではこの時は、それはもう必死だったというのだから、
ユミはとてもサチコに大事にされていたのだ。
いや、それはきっとあの頃も解っていたのかもしれない…だからこそ、初めて叩かれた時も泣かなかったのだ。
どうやらサチコは未だにその事を悔やんでいるようではあったけれど、
ユミがサチコを思う気持ちはこれっぽっちも変わっていないし、
サチコだってそうだ。
高校を卒業した今も、サチコは大事な姉で、ユミは可愛い妹なのだから・・・。
これはきっと一生変わらない・・・サチコはいつまでもユミのかけがえのない姉でありつづけるだろう。
と、ここで話はまた一年前に戻る・・・。
ひとしきりサチコに怒られたセイは一瞬悲しそうな顔を見せたけれど、
次の瞬間にはユミのツインテールで遊んでいたのだから、
いっこうに反省などしていないのは誰の目から見ても明らかだった。
「ところでさー、今年の鬼は結局誰なの?」
セイはユミの髪をクルクルと指に巻いては離しながら誰にともなく言う。
「今年は令に頼んだの」
「ふ〜ん・・・蓉子じゃないの」
「・・・どういう意味よ?」
「え〜だって、去年は私がやったじゃない。その前は江利子。じゃあ蓉子はいつやるのよ?」
セイが不満げな顔で机の上に置いてあった鬼の面を指先で弾くと、面は机の上をすべりヨウコの前で止まった。
「私は・・・いいわよ。それに、あなた達は進んで鬼をやったんじゃなかったかしら?」
「うっ・・・それはまぁ・・・そうだけどさ・・・」
しどろもどろになるセイ。どうやら図星だったようで、すぐに黙り込んでしまう。
下を向いてゴニョゴニョと文句を言うセイが、ユミはなんだか可愛くて思わず笑うとセイは顔をキッと上げ、
ユミの頬を軽くつまんで自分の席へと戻ってしまった。
この頃はまだ、セイの事はただの変わった先輩だと思っていたユミだったけれど、
心のどこかではセイが離れてしまった事を寂しく思った自分が居た事など全く気づきもしなかった。
後日その事をセイに話すと、セイはただ笑うだけで何も言わなかった。
セイがこの時すでにユミの事が気になっていた事を知るのはもっと後になってからのお話。
鬼は外。福は内。
閉め出されてしまった鬼はどこにも行けず、ただ彷徨う。
鬼と福は二つで一つだと、本当は解っていたのに・・・。