出会えた事が奇跡。
鏡のようなあなた…もう一人の私。
それこそが私達の軌跡・・・。
高速道路の塀は、まるで監獄のように高く高く感じられる。
セイにとっても、ユミにとっても、ヨウコにとってもここは監獄のようなものだった。
狭い車の中で、どれだけ繕っても溢れそうな気持ちを三人は堪えるのに必死になった。
表面では笑顔で・・・心の中はいつだって嵐のよう・・・。
「…そろそろかしら?」
「そうね。そろそろ見えるんじゃない?」
シンと静まり返った車の中で、ヨウコがポツリと呟く。
それに静かな相槌を返すセイ。
ふとミラー越しに後ろを見ると、ユミがシマコの肩に頭を乗せて、小さな寝息をたてていた。
「志摩子、後ろに毛布が入ってるから、それを祐巳ちゃんにかけてやって」
「はい、お姉さま」
セイはもう一度ミラー越しにユミをチラリと見ると、思わず目を細める。
そんなセイの優しげな表情にヨウコは小さな違和感を感じた。
「…いつになく用意がいいわね…聖」
訝しげにセイの顔を覗き込むヨウコに、セイは照れたように笑うとポツリと呟く。
「いや…大分前に買ったまま車の中に忘れてたのを今思い出したんだよね」
…なんて…こんな小さな嘘をついてどうなるというのか…。
でも、ヨウコには知られたくない…知られてはいけない…。
「…なんだ…褒めて損したわ」
「だって、誰が私の運転中に寝ると思う?普通思わないよ」
あっけらかんとそう言うセイの顔は、いつもの意地悪な…何かを思いついたような…そんな笑顔。
「聖…自分で言ってたら世話ないわね…」
ヨウコはそう言いながら、心にひっかかっていた小さな違和感が少しだけ解けたような気がするのを感じた。
それでも、残りの違和感は小さな芽になって心に根を這ってゆく…。
やがてその小さな芽は、いつしか大きな木へと変わってゆくのだけれど、それはまた別のお話。
「祐巳ちゃん!ゆ〜みちゃん!!」
どれぐらい眠ってしまっていたのか、ユミはセイの呼ぶ声でようやく目覚めた。
「…んん?…朝…?」
トロトロと目をこするユミの身体を、セイは優しく揺さぶると笑いを必死に噛み殺す。
「いや、朝じゃなくて海だよ」
「う…み?」
「そう、海」
まだ眠そうに身体を起こすユミの手を、セイはグイっと引っ張るとユミを外へと引きずり出して目の前の景色を指差した。
最初はセイの身体にしがみつくように立っていたユミだったけれど、セイの指差す先を見て息を飲む。
「海っ!?」
やっと頭が回転し始めたユミは、ここでようやく自分が眠っていた事に気付き、
あまりの自分の危機感の無さにガックリと頭を垂れる。
「な、何?どうしたの?」
頭を下げて憔悴しきっているユミを見て、セイは慌ててユミの顔を覗きむと、小さな背中をさすってやる。
どうやらユミが車に酔ったとでも思ったのだろう。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「気分でも悪い?」
心配そうに背中をさするセイの顔を、ユミはチラリと見ると大きな溜息をこぼすと言う。
「いえ…そうではなくて…私、聖さまの運転で寝ちゃってたのか…と思いまして…」
・・・なんて命知らずな事をしたんだろう・・・
「ゆ、祐巳ちゃん?それってどういう・・・?」
ユミはそんなセイの問いに顔を上げて、ニッコリと微笑んだ。セイはなやらとても複雑そうな顔をしている。
そんなセイの仕草が可愛らしくて、ユミはクスリと小さく笑うと言った。
「いえ、慣れってすごいな、なんて思いまして。あぁ、私聖さまの運転で寝れたんだぁ…と」
ユミはそう言ってセイに支えられっぱなしになっていた身体をそっと離すと、へへ、と笑った。
そんなユミが可愛らしいやら憎らしいやらで、セイの顔にも思わず笑顔が浮かぶ。
「慣れた」と言うほど、多分ユミはセイの運転には乗ってはいない。
でも、ユミは「慣れた」と言う。
「慣れ」なんて言葉、本当はあまり好きではないし、むしろ嫌いなぐらいなのに…何故か今はその言葉が一番嬉しく思えた。
ユミと自分の距離が、ほんの少しづつだけれど確実に変わってきているような…そんな錯覚さえ覚えてしまうほどに…。
「ふ〜ん…じゃあ、帰りは祐巳ちゃんは私の隣ね?」
「ど、どうしてです?!」
「だって…慣れたんでしょ?他の皆は怖がって乗ってくれないからね」
「う…いや、それは…」
はっきりいって嬉しい。嬉しい事には違いないのだけれど…それでもセイの隣に乗るのは…やはり怖い。
…でも…冒険してみるのも、そんなに悪くないかもしれない…
そんな考えがユミの頭に過ぎった。
今まではセイへの気持ちにフタをして、出来るだけ逃げようとしてきたけれど、
抑えきれない気持ちはそんな事お構いなしにユミを振り回してくれるのだから、それならいっそぶつかってしまった方が…楽。
最近はそんな風に思うようになった。強くなったのか、弱くなったのかは分からない。
もしかしたら、何も変わってはいないのかもしれない…それでも、前に進みたい。
いつまでも止まっていたままでは、周りの人も・・・自分すらも傷つけてしまうだろうから。
ユミは意を決したように顔を上げると、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべるセイの目を覗き込んだ。
「わかりました。帰りは隣に乗ります・・・その代わり・・・出来るだけ」
ユミが最後までいい終わらないうちに、セイはユミの頭にポンと手を置いて優しく撫でる。
「安全運転ね。りょ〜かい。さて、話はまとまった所で…そろそろ着替えに行こう?皆待ってるよ」
セイはそう言って駐車場の奥を指差すと、こちらに向かって手を振っているヨシノに向かって軽く手を振り返した。
「うわわ…本当だ!行きましょう、聖さま!!」
ユミは車の中から慌てて荷物を取り出すと、セイの白い手を力強くギュっと握って走り出した。
「!?」
繋がれた手と手…ドクドクと心臓が脈打つのが解る。
こんなにも切ない…苦くて甘い気持ち…昔味わった懐かしい気持ち…胸が焦がれる、熱さ。
すっかり無くなっていたと思っていた情熱が、こんなにもささいで簡単な事でまた蘇る。
あの時ほどの痛さはないけれど、確実に固まってゆく想いが心に根を生やして幸せという栄養を糧に次第に育ってゆく…。
苦しくて苦しくて、でも抜け出せなくて。もがけばもがくほど絡まる茨の棘。
セイは繋いだ手をじっと見つめながら、この先に続く未来の自分達を心の中で…思い描いた。
繋いだ手から、自分の気持ちが可愛くて愛しいこの子に伝わればいいのに。
気持ちだけがずっと前へ行ってしまって・・・いつか追いつけなくなってしまう、その前に・・・。
雲は毎日形を変えて、ずっとそこにあるなんて事はしない。
一秒だって、一瞬だって同じ事はなくて・・・。
人の心もそう。
一瞬だって同じ事など考えてやしない。
それでも、きっと変わらない・・・。
この想いだけは、きっとずっと・・・ここに在る。